2016年4月号(Vol.46)HTMLメール

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宇治茶の郷メールマガジン
4月号(Vol.46)
こんにちは、宇治 茶太郎さん。

春真っ盛りの宇治茶の郷から、
はじまりの季節にぴったりな最新情報をお届けします。

目次

… トピックス …………………………………………………………………………
 【1】「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」が開催
 【2】宇治茶製法手もみ技術競技大会が開催
 【3】京都府茶業連合青年団 第87回茶審査技術競技大会が開催
 【4】新関西国際空港で外国人観光客向けに宇治茶PR!
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… 日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録に向けて …………………………………
 ○宇治茶世界文化遺産登録有識者会議等の合同会議を開催
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… コラム「茶の記憶」………………………………………………………………
 ○第42回 橋本素子さん
  「茶カブキ」について
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トピックス

【1】「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」が開催

 平成28年度「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」を5月1日(日)宇治茶会館、茶協同組合茶業センター茶園等で開催。

 新茶シーズンを迎え、宇治新茶の生産と製造・販売が開始されたことを広め、多くの方々に宇治茶に親しんでもらい、宇治茶の普及と消費拡大を図ることを目的に開催します。

 内容としては、茶摘み体験、美味しいお茶の淹れ方教室、宇治茶の手もみ体験、試験茶園・製茶工場見学、宇治新茶の無料接待・販売など多くの魅力あるイベントを予定しています。

 また、同日には東京の「ホテル椿山荘東京」で、「1日限定宇治茶カフェ」や「茶の匠による高級宇治茶のおもてなし」など、「八十八夜茶摘みの集い」と連携したイベントも実施予定です。

 多数の御参加をお待ちしています。

【2】宇治茶製法手もみ技術競技大会が開催

 第12回宇治茶製法手もみ技術大会を3月15日(火)、宇治茶会館で開催。

 本大会は、宇治茶の伝統的な手もみの技術の伝承と後継者の育成を通じ、宇治茶製法の原点を学び宇治茶の品質向上を目的に実施。

 当日は、府内4地域の保存会、11チームが参加し、宇治茶製法技術保存協会Bチームが優勝しました。

【3】京都府茶業連合青年団 第87回茶審査技術競技大会が開催

 京都府茶業連合青年団 第87回茶審査技術競技大会を3月13日(日)、宇治茶会館で開催。

 当日は、府内11の地域茶業青年団が参加し、110名が選手として競技に参加しました。

 団体優勝は城陽茶業青年団、個人優勝は古川淳士氏(城陽)でした。

【4】新関西国際空港で外国人観光客向けに宇治茶PR!

 宇治茶の魅力海外発信プラットフォーム主催により、3月28日(月)新関西国際空港 第1ターミナルビル1Fロビー中央で、外国人観光客向けに、宇治茶接待(水出し玉露・煎茶)、宇治茶店舗紹介多言語マップの配布などを実施し、宇治茶の魅力体験や喫茶文化の普及を図りました。

 当日は多数の外国人の方々が、「ほんまもの」の宇治茶を堪能されていました。

日本茶・宇治茶の世界文化遺産登録に向けて

○宇治茶世界文化遺産登録有識者会議等の合同会議を開催

 「宇治茶世界文化遺産登録有識者会議等合同会議」を3月10日(木)京都平安ホテル(京都市上京区烏丸通上長者町上ル)で開催。

 世界文化遺産登録に向けた文化庁への提案書の資産名称を、従来の「日本茶のふるさと『宇治茶生産の景観』」から「宇治茶の文化的景観」に変更することを決めた。これにより、日本茶の源流という位置づけにとどまらず、中国宋代の製法を継承・発展させ、世界的に例のない緑茶を生み出したという価値や位置づけを強く打ち出した。

コラム「茶の記憶」 第42回


 今月も、京都造形芸術大学通信制大学院非常勤講師の橋本素子さんにコラムを御紹介いただきます。

 今月は、「茶カブキ」という題目でコラムをお寄せいただきました。

「茶カブキ」について 橋本素子

 今回は、ここ京都をはじめとするお茶の産地を中心に行われている「茶カブキ」について、新出史料をご紹介しつつ、簡単に最新の研究内容を書き綴ってみたいと思います。

 「茶カブキ」(茶香服・茶歌舞伎)は「闘茶」ともいい、お茶の種類や産地の違いを飲み当てる遊芸です。当初「闘茶」と言われていたものに、近世以降「茶カブキ」という言葉が加わります。そもそも中世の史料をみても「闘茶」と出てくる場合が少なく、「茶寄合」「十種茶」「飲茶勝負」など様々に称されていました。

 またその歴史についても、最近の研究では、鎌倉時代の末期に鎌倉を中心に行われていたことが推測されています。南北朝時代には京都を中心に大流行し、室町時代には廃れることなく、セレブを中心としたお正月行事として定着していました。近世には「茶の湯」に取り入れられる、地方の農村でもお正月の行事として行われるなど、一般化していたことがわかってきました。これらの点については、また別の機会でお話したいと思います。

 今回ご紹介したいのは、『茶道文化研究7』(今日庵文庫 2015年)に掲載された新出史料『宗湛日記 見聞記』天正15年(1587)10月12日条です。ここには「茶カブキ」の初期の用例とみられる「カブキ茶」の語がみえます。この日、長岡玄旨(細川幽斎)邸に豊臣秀吉の御成(おなり)がありました。そのあと幽斎は、参集していた千利休・古田織部・神屋宗湛(かみやそうたん)と「茶の湯」を行います。その際幽斎は「さらばカフキ茶に」といって、自ら点てた2種類の「御茶」=濃茶を回し飲みさせ、「これは何々にて候や、皆々仰せられ候へ」(これは何々のお茶であるか、みなさんおっしゃってください)と促しました。皆が順番に言い、宗湛も「はじめが森の極上で、後は上林(かんばやし)の極上」と答えたところ、それが言い間違えであったため、一同大笑いになりました。つまりこの場合に「カブキ茶」とは、「濃茶」による闘茶のことを意味していたのです。

 また1600年頃に編纂されたポルトガル語で書かれた日本語の辞書『日葡(にっぽ)辞書』の「カブキ」の項には、「物の目方を計る場合に、どちらか側に天秤が傾くかよく見る。また比喩、茶を飲んでみて、それがどんな質のものかを鑑定し、判断する」とあります。「カブキ」とは「傾く」が語源です。お茶を飲み比べて、どちらがどのお茶であるかを判断することが、まるで天秤が傾く様に似ていることから、この名前が付けられたことがわかります。

 ただし近世以降、すべてが「茶カブキ」といわれるようになったわけではなく、明治時代や昭和時代に煎茶で行われた場合でも「闘茶」といった事例があります。また明治時代に書かれた、ある元紀州藩士の茶の湯の記録には「茶舞妓」と記されていました。

 このように「茶カブキ」は、初見は「カブキ茶」ではあるものの、近世はじめからこの名称が使われるようになっていたことが確認できました。

 その「茶カブキ」ですが、一般の方も、宇治茶道場「匠の館」(事前申し込み)や、各産地でのイベント、お茶屋さんなどで、体験することができます。私もこのお正月、久しぶりに「茶カブキ」に参加させていただきましたが、素直に感じたままに札を入れることの大切さを痛感しました。

 皆様もぜひ、この歴史ある、そして楽しい「茶カブキ」に挑戦してみませんか。

本文ここまで
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 □ 発行日 : 2016年4月1日
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