2017年3月号(Vol.57)HTMLメール

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宇治茶の郷メールマガジン
3月号(Vol.57)
こんにちは、宇治 茶太郎さん。

春の足音が聞こえ始めた宇治茶の郷からフレッシュな話題をお届けします。

目次

… トピックス …………………………………………………………………………
 【1】宇治茶世界文化遺産登録推進シンポジウムを開催!
 【2】関西国際空港で外国人観光客に向け宇治茶PR!
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… 「お茶の京都博」特集……………………………………………………………
 ○オープニングイベント「さくら茶会」がまもなく開催!
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… コラム「茶の記憶」………………………………………………………………
 ○第53回 桑原秀樹さん
  「アメリカと日本茶」第1回
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トピックス

【1】宇治茶世界文化遺産登録推進シンポジウムを開催!

 「宇治茶世界文化遺産登録推進シンポジウム」を2月19日(日)京都府立京都学・歴彩館で開催し、170人の参加がありました。

 当日は、稲葉信子氏(筑波大学教授、文化庁参与、日本イコモス国内委員会理事)による基調講演(「世界遺産と文化的景観 その事例・考え方)や、京都府立大学副学長・教授の宗田好史氏をコーディネーターに迎え、稲葉氏他3名のパネリストによるトークセッション(「アジアから見る宇治茶の文化的景観」)が行われました。

 宇治茶の世界文化遺産登録に向けた気運醸成につながるシンポジウムでした。

【2】関西国際空港で外国人観光客に向け宇治茶PR!

 2月14日(火)~16日(木)に関西国際空港第1ターミナルビル 1Fロビー中央で、外国人観光客等を対象に宇治茶PR。

 当日は、外国人観光客等に宇治茶のおもてなし(煎茶・玄米茶)、宇治茶店舗紹介多言語マップ、日本遺産パンフ、観光パンフ等各パンフ(英語版・中国語版等)の配布や、宇治茶に係るアンケート調査を実施。

 アンケートでは、「日本茶を飲んだことは少ない」「試飲では玄米茶が飲みやすい」等の意見がありました。

「お茶の京都博」特集

○オープニングイベント「さくら茶会」がまもなく開催!

 今月号から毎号で「お茶の京都博」に関連した情報を掲載します。

 今月は、4月1日(土)~2日(日)開催の「さくら茶会」についてのお知らせです。

 会場は、八幡市内の三川合流地点である淀川河川公園背割堤地区で、雨天の場合は中止(少雨決行)となります。

【開催内容】

■ メインステージ
 ・「お茶の京都博」のキックオフとなる
  華々しい開会宣言
 ・お茶関連体験ステージ等を展開

■ 1万人の宇治茶バーカウンター
 ・ティーアンバサダー等から呈茶
 ・併せて、宇治茶文化等について説明

■ 宇治茶体験エリア
 ・千家、煎茶道による呈茶
 ・市町村によるPRや物産販売 等

 多数の方々のご参加をお待ちしています。

コラム「茶の記憶」 第53回


 今月からは、NPO法人日本茶インストラクター協会元副理事長兼関西ブロック長で、現京都府支部副支部長である桑原秀樹さんにコラムを御紹介いただきます。

 今月は、「アメリカと日本茶 第1回」という題目でコラムをお寄せいただきました。

「アメリカと日本茶」第1回 桑原秀樹

 みなさん、お久しぶりです。平成29年1月、アメリカ大統領にドナルドトランプが就任し、矢継ぎ早に次々色々な大統領令を発しています。永くは持たない、また持ってほしくない大統領だと思いますが、米国民の半数が彼を支持していることに、アメリカの苦悩が感じられます。今回は「アメリカと日本茶」と題してお話しさせていただきます。

1. 日本茶業はペリーによって始まった。

 「日本茶業はペリーによって始まった。」「日本茶業が、今日あるのはアメリカのおかげです。」というと、みなさん驚かれるでしょうか?

ア. ペリー以前の日本茶業。

 江戸時代の1600年代、1700年代にお茶で生計を立てている、即ちお茶を生業として生活できる、即ち茶業を営んでいる人は日本の中で宇治と宇治周辺のごく一部の人々でした。商品として主に流通していたのはお抹茶の原料である薄葉(うすは)で、その消費者は全国にニ百数十家あった大名、武士と朝廷、公家と大きな寺社でした。人口の大多数を占める「農、工、商」の人々にとって、お茶は買うものではなく、自分で作って飲むものでした。全国各地には様々な自家用の番茶がつくられていました。元文三年(1738年)に宇治田原湯屋谷の永谷宗円がそれまでの番茶や黒製(釜炒り製)に変わる宇治製(青製)を創製します。

 しかし、すぐに全国のお茶が宇治製煎茶に変わったのではなく、宇治製法の煎茶は宗円の時代からペリー来航の時代まで、100年以上をかけて全国に伝わって行きました。江戸時代の1800年代になると三都(江戸、京都、大坂)をはじめ全国の地方都市でも茶が商われるようになってきます。その時代の「引き札」(ひきふだ=定価表)を見ると、ほとんどの引札には「宇治、信楽、諸国、御茶所」と書かれています。足久保(静岡)や菰野(伊勢)や日向(宮崎)の茶も販売されていますがそれらのお茶銘は少なく、ほとんど宇治のお茶が販売されていたのがわかります。

本文ここまで
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 □ 発行 : 宇治茶の郷づくり協議会 https://www.ujicha.or.jp/sato/
 □ 発行日 : 2017年3月1日
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